流れるようなお点前の中で、おもむろに訪れる空白の間が好きだ。
稽古をし始めてしばらくは、お点前の順番を間違えないように次は何をするのか、考えながら身体を動かす。段々と身体が所作を覚えてくると考えなくとも、身体が勝手に動くような感覚となる。そうなってきた頃、所作は正しいが、どこかしっくりこないと感じる瞬間に遭遇することになる。
手はスムーズに動いていても、どこか違う。ゆっくり丁寧に動かせてみても、違う。この違和感はどこから来るのだろうかとしばらく、迷いながら稽古を続けた。その後、「空白」の存在に気づく。
茶碗をおいて、棗を置いて、帛紗を取って、と動作が続く中で、自分の身体が自然に止まる瞬間がある。「止める」のではなく「止まる」のだ。これは、文字の止め、はね、はらいのように意識的にするものではなく、自然な動作を目指した先に生まれる「空白」ではないかと思う。明確な止まる瞬間、動き始めるはない。そうでありながら、確実に「間」が存在していると感じられるのだ。
そもそも言語で表現できないものを無理やり表現しようとしているため、もどかしさが募るばかりである。まだ自分の中でもつかみ始めた感覚であるため、この感覚を大いに養っていきたい。
存在しているのだが、意識しなければ気づかない。「有る」のに「無い」。
人間の感覚を研ぎ澄ませて、AIでは簡単に到達できない世界を知覚できるようになりたい。