サナフミのラーニングジャーナル

実践からの学びをまとめています

【音楽】正しさがないことにおいて、何を正しいとするか

本日、篠笛の練習をしました。
雅楽とかで使われている竹の笛をイメージしてもらえればよいです。

今日の練習では、篠笛の音程と琴の音程がズレてしまい、なかなかうまくいきませんでした。チューナーのような音程を測る機械を使えば、どちらがズレているのかはっきりすると考えがちですが、実際は演奏しているうちにどちらも音程(ドレミは音階。ここでいう音程は同じドの音の中で高いか低いか)が変化しているので、絶対的な正しさは存在しません。

存在しているのは、唯一の正解ではなく、篠笛と琴の音が一致しているか否かだけです。

つまり、正解(一致している点)は流動的であり、どこまで行っても、最善という状態でしか存在していないように思いました。

例えるなら、恋人が一つの有線イヤホンを左右それぞれ一つずつ耳にいれ、自転車で並走して音楽を聞くような状況でしょうか(とても危ないので、やめましょうという感じですね)。

篠笛の音程と琴の音程がズレている原因については、以下のように考えられます。

①そもそも、音程がズレていることに気づいていない
②音程がズレていることに気づいているが、高いのか低いのかわからない
③ ②はわかるが、どのように一致させればよいかわからない
④ ③はわかるが、実行することができない
⑤ ④を実行している(つもり)だが、正しく実行できていない

こうやった考えてみると、正しい方法よりも正しい認知が大切だと感じます。
つまり、今自分がどんな状態なのか(相手との間でどのような位置にいるのか)、そして、どのような状態に(相手との関係性に)したいのか、実際に実現したい状態になっているのか、など。

こんなことを考え出したら、夜も眠れませんし、時間がいくらあっても足りないでしょうね。

だからこそ、違和感や感性、勘、といった感覚的なことが大切なのだと思います。何かが違うと感じたところをヒントとして何が違うのかを明らかにする。最初から全てをチェックリストのように確認するのではなく、ひっかかりから把握を始める。

そのくらいがちょうどよく、現実的な気がします。