サナフミのラーニングジャーナル

実践からの学びをまとめています

【プロマネ】視座とは、どこまでの範囲を自分ごととして考えるか

「視野、視点、視座」という言葉はよくビジネス書に書かれている。

視野は広い方がよく、視点は多い方がよく、視座は高い方がよい。

それぞれなんとなく意味を理解していたつもりであるが、一番ピンときていなかったのが「視座」である。よく部長とか課長などの役職と関連して語られることも多く、視座とは、自分がどの位置に座っていて、そこで求められるを意味しているのか、と考えたこともある。

しかし最近は「全然違う。肩書きは関係ない」そう考える。

プロジェクトに参加して、自分がマネジメントする立場で物事を考えたとき、視座という意味が今までより理解できてきたと感じる。

システムのプロジェクトの場合、システム部門、ユーザー部門、経営層とそれぞれの立場によって優先したい成果が異なってくる。全ての立場の人間が100%満足することは、あり得ない。そういった環境の中で、どこまでの範囲を考慮して、成果を考え、当事者として関連する人間と合意に向かって物事を進められるのかは、「視座」の高さによると感じる。

異なる意見と接したとき「またあちらの部署が勝手なことを言っている」とか「自分の考えのようが絶対に優れている」と考え、それ以上思考が進まないのは、視座が低いためと言えるかもしれない。

自分の違う立場の人間のことをどれだけ考えらえるのか、という観点において、「視点」は切り替えて相手のことを考える側面が強いと考える。一方、「視座」の場合、自分と相手を包含して、全体を考えて物事を捉えているように考える。相手単体というより自分と相手の関係性を含めているのではないか。

物事を進める場合、自分と他者の二人ということはなく、集団で複数人いることが普通である。そのため、相手のことを考えるイコール相手一人の気持ちだけを考えるのでは不十分であり、関係性、距離感などといった、人と人の間にあるものも認知できるようになる必要があるかもしれない。

だから人間理解とか人間力、って「人」の「間」の「理解(力)」なんでしょうね、