英語でコミュニケーションができた方が良い。
誰しもそう考える。グローバルな時代うんぬんと言うまでもなく、できないよりできた方が良いことは、わかっている。
しかしながら、どのくらいできるようになる必要があるか、なりたいのか、は人によって異なる。旅行に行くのに困らなければOKなのか、ビジネスで使いたいのか、同じ英語ができるでも意味するところが違う。
自分自身で言うならどういうことか、考えてみた。
筆者の英語学習の目的は「言語化しにくい日本文化や信仰の豊かさを伝えること」である。伝えたいことがあるからこそ、道具(英語)が活きてくる。これまで、英語を学習した方が良い、という理由で学んできた気がする。資格試験も、キャリアに有利とか、目にみえるメリットのためであった。そうであったも長続きはしない。
かといって、資格試験が意味がないと言うわけではない。私自身もTOEICや英検を受験しようとしている。では、筆者にとっての資格試験の目的は何か。
自信を持つこと
シンプルであるが、嘘偽りのない本音である。
自分が英語ができるようになったのか。外国の人とコミュニケーションが取れるだけの力がついているのか。自己評価だけでは、すぐに崩れ去ってしまう自信しか生まれない。客観的な評価、全体の中での相対的な位置を把握することで、揺るがない自身が生まれてくると考えている。
最終的には自己肯定ができるか、が大きいとは考えているが、自己肯定をするためには他者の介在が欠かせない。まずは、資格試験で自信を育む。これが目前の目標である。