サナフミのラーニングジャーナル

実践からの学びをまとめています

【茶道】音を嗜む

日常の中で聞こえる音を味わう瞬間はあるだろうか。

稽古にて、茶碗へ柄杓からお湯を注いだとき、いつもより高い音がした。お湯が流れ、茶碗に接したとき、何かの楽器を優しく叩いたかのように音が鳴った。

いつもと違うことを察知した上に、楽器のような音色。このままお湯を注ぎ続けてみたいと思ったが、柄杓の中のお湯がなくなったことで、その音楽は終わった。側から見れば、ただお湯を注いでいるだけであるが、そこに音の芸術が存在している。そう感じた。

あとでゆっくりと茶碗をのぞいてみると、いつもの茶碗とそこの模様が違っている。いつもの茶碗は玉が回るルーレットのように中心が低く、外側が高い。今回のものは、平らであり、中心に波模様が入っていた。また心なしか器の高さが高く、音が響きやすい作りのようにも見えた。今日のような音が聞こえてこなければ、そんな細部まで観ることはなかっただろう。

音は空気の振動によって、人間の耳に届く。その振動は、物体と物体が接触したことによって生じる。先ほどの例で言えば、お湯と茶碗である。その場合は、お湯が「動」いて、茶碗が「静」止したまま受け止める。この「動」と「静」の組み合わせによって生まれた。

接触というと、両方が動いている姿が思い浮かぶが、考え直してみれば、意外にどちらかが止まっていることも多い気がする。足音だって、ドアや襖を閉める音だって、椅子をひく音だって、動いているのは一方だ。床や柱は動かない。

動いている主体よりも、その動きを受け止める物体の方が、音の要素を決めているかもしれない。足音も、椅子を引く音も、床が柔らかければ、大きな音はならない。目立たない方が担っている役割が大きいのかもしれない。

自分も多く人の言葉や気持ちを受け止めて、良い音を奏でることができる人間でありたい。