サナフミのラーニングジャーナル

実践からの学びをまとめています

【茶道】茶の湯の稽古から仕事を考える

稽古でのミスと、仕事のミスの違いは何か

仕事のミスで、落ち込み気味な気持ちを引き連れ、稽古に向かった。いつもと何の変わりもないが、その日常でありながら非日常な空間に身を置けるありがたさを感じる。

そして稽古を始め、いつも以上にお手前を間違える。しかしながら、仕事におけるミスと同じ「間違える」でありながら、茶の湯においては、何も気にならない。むしろ全体の流れの中で、ちょっとした間違いは気にならなかったりする。あたかも間違えた動作が最初から予定されていたものかのように手が動いている。これは不思議な感覚であった。

茶の湯における所作は、頭ではなく身体が覚えている。だからこそ、流れの中で身体が反応するため、ミスの原因を頭で考えるより、適切な動作を身体が行っているからだと思う。悩んでいる暇がないのだ。

これは物事の「部分」を切り取って考えるのではなく、全体の「流れ」で捉えていることが関係している。何か問題の原因を考えて改善をする場合、物事を分解し、原因となる課題を特定した上で、その改善を考える。仕事はまさにこの考えのもと、改善を繰り返し、生産性を上げていく。

一方、茶の湯においては、動作を分解して考えない。初心者のとき、割稽古という帛紗を捌いたり、茶杓を清めたりする基本動作を練習することはあるが、その後は基本的に通し稽古となる。一部だけを取り上げて練習することはほとんどない。初めてのお手前であっても、全部やる。

初めての場合、当然間違える。いや、間違えるどころか何をしたら良いかわからないので、言われた通りにやるしかない。言われた通りですら難しい。「右手で取って」と言われても、どのようにお道具を持てば良いのか、上から掴むか、横から掴むか、と戸惑う。それでも、薄茶・濃茶の基本の流れに沿って進むため、流れに沿って覚えた方が理解が早いとも感じる。

今自分はどこにいるのか、何のためにこの所作をしているのか、が感覚としてわかる。これが説明を聞くだけでは理解するまでに時間がかかる。習うより慣れろ、だ。

さて、ここであらためて仕事のことを考えてみる。ミスをした時、どうして間違えたのか、とその原因を捉え、改善を考えたくなるが、一度全体を見てみるのが良い。そもそも、その作業における全体の流れはどうなっているのか。自分の業務の全体、そして、自分の前後のプロセスに関わる人はどんなことをしているのか。そういった全体に視野を広げ、自分の作業を捉え直すときっと何かが見えてくる。

全体をとらえよう、そして、その全体が部分になるように、さらに視野を広げよう