サナフミのラーニングジャーナル

実践からの学びをまとめています

【茶道】言語を介さないコミュニケーション

今日はやたらと自分が話すオンラインミーティングが多かった。対面とは異なり、オンラインの場合、伝達手段が画面と言葉だけである。そのため、2割増しくらいで、言葉が多い気がする。

そんな昼休み、茶道のお稽古に行く。
今の教室に通い始めて1年をすぎる。前の教室と合わせて約2年ほど稽古を続けている。

ご挨拶をして、お道具を準備し、お茶を立てる。稽古に説明の時間はない。いつでも、今日はこのお手前をします、と言われるだけ。お手前の稽古が始まったら「右手で帛紗を持って」「茶巾を蓋に置いて」と具体的な動作の指示があるだけである。

初めてのお手前であっても、長い説明はない。基本の流れから、その後どうなるのか自分なりに考えて、あとは言われた通りに身体を動かすだけ。余計なことは考えず言われた通りにやる。「守破離」の「守」である。型通りにできてこそ、個性が出てくる。

今日は一段と深く集中したからか、お手前の指示は少なかった。そうなると、和室に二人でいるにも関わらず、ほとんど会話がない状況となる。しかし、しっかりとコミュニケーションが成立している。とても不思議な感覚である。

スマホを操作することもない。他のことを考えたりもしない。ただお茶を立てて飲む、所作の流れに、亭主も客も沿って動く。察し、察される、無言の共同作業によって茶の湯は成立している。

一方で、仕事では「言語化」は良いこととされ、コミュニケーションは基本的に文書・メール・チャットによる言語である。相手の考えを言語で理解し、自分の考えを言語で伝える。茶の湯のように、言葉が少なければ、仕事に支障が出る。

今日は、仕事と茶道の稽古の両方が同じにあったため、正反対のコミュニケーションを切り替えて過ごした。どちらか一方が優れているわけではない。両方必要だ。

自分の人生において、うまくバランスを取って過ごしていきたい。