サナフミのラーニングジャーナル

実践からの学びをまとめています

【音楽】師を持つ

自分一人では行けない領域に、他者となら行けるはず

篠笛の練習をしていて、上達を感じる一方、独学独習でどこまで上手くなれるものかと漠然とした不安を感じる。感覚的なものであるが、どこかで行き詰まる気がしてならない。音楽においる上達は、英語のテストのように点数で測るのが難しく、客観的な評価が自分一人ではできない。

もちろん、カラオケの採点のように、何かしら方法はあるかもしれないが、気持ちとして受け入れにくい。だからこそ、師を持つことで、良し悪しを言ってもらうことの意義は大きい。

思い返してみれば、就職をしたばかりの頃は叱られたり、指導を受けることが多かったが、今となっては、叱られるどこか、注意されることさえ少なくなった気がする。自分に対してNOと言ってくれる存在は大切だ。自己肯定も必要だが、他者からの指摘による内省も大切である。

師というと、学校の先生のように「教えてくれる」存在をイメージしがちだが、個人的には「基準を作る」存在だと考えている。何が良くて、何が悪いのか。自分の言動を見守り、ときに助言してくれる人。あるべき姿を写している鏡のように、自分の言動が反射することで、自分自身で誤りなどに気づく、そんなものではないだろうか。

師とは何かを考えよう。逢うべき人と出逢うために。