サナフミのラーニングジャーナル

実践からの学びをまとめています

【マインド】最初に発言することの価値

最近あった嬉しいことはなんですか?

数百人の前で、いきなり質問されたら、あなたは即答できるだろうか。

まさに今日、そんな場面に遭遇する。既存のコミュニティで、知っている人がたくさんいる環境であっても、その状況、文脈の中で、適切な範囲はどこなのかを見定めるのは難しい。回答内容とそれを発言するための構成を考えなければならない。30秒の準備時間だったが、今考えるとなかなかハードルの高い課題である。

しかも、最初の一人となった場合、前例がない。なので、全くの的外れなことを言うかもしれない。それも発言してみなければわからない。このあたり、日本人的感覚なのか、自分の意見よりもその場に適した発言を考えてしまう。人にどう思われても良い、と割り切ることはかっこいいかもしれないが、相手があることなので、文脈によると思う。今回は、壇上での講演中の質問のため、それなりに範囲は定められているケースであった。

今でも自分の回答はベストだったのか、と悶々と考えてしまうが、後からどれだけ良い回答を考えても、その場で浮かばなかったのだから内容自体には意味がない。むしろ、自分ではうまく回答できなかった、という事象への解釈を変えるべきだと思って、この文章を書いている。ずいぶん周りくどい書き方になったしまった。

言いたいことは、最初に発言することは、内容の良し悪しではなく、発言すること自体に意味があると考える。誰かの問いに対して、考えているふりをして、発言しないのは簡単だ。しかし、それではコミュニケーションは成立しない。会議であっても、「何か意見は?」と投げかけがあった際、沈黙になることは多い。そこで発言をする人は、たとえ変なことを言ったとしても、何も言わないより価値がある。当事者として、そのことを考えていると表明しているわけだ。

発言に対して「そんなことは誰でも思いつく」と批評することは簡単だ。でも、その批評は最初の発言がなければ、存在しない。笑われたって、何か物事を進める人は最初に発言する。

当事者になろう。誰かの後ろについていくのは、楽だけど、それでいいのだろうか。